金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

供養と感謝

先祖供養したらとてもよくなったという人もいますね。

 

「だったら私も是非先祖供養したい!」というひともいそうだけど・・・

これも「だったら~したい」はいかがなものか・・・

そもそも先祖を供養するのには感謝の心でするもの。

何かの解消や利益を当て込むものではない。感謝の心なくして1000巻のお経も供養にならない。

 

そこは施餓鬼も同じ。

飢渇や醜い姿で苦しむ餓鬼に引き比べ、わが身の境涯のありがたさを心より感謝して、餓鬼の苦患を憐れみ救いたい心がないなら施餓鬼にはならない。

 

餓鬼に堕している仏弟子・目連尊者の母。これを救うため釈尊が彼に勧めたのが千僧供養。

今もインドなどでは修行者に食事を布施することがさかんだ。

神通第一の目連をしてもなお神通力や超能力ではなく、供養によって作ったその功徳を回向し、はじめて母を救いえたのだ。