先祖供養したらとてもよくなったという人もいますね。
「だったら私も是非先祖供養したい!」というひともいそうだけど・・・
これも「だったら~したい」はいかがなものか・・・
そもそも先祖を供養するのには感謝の心でするもの。
何かの解消や利益を当て込むものではない。感謝の心なくして1000巻のお経も供養にならない。
そこは施餓鬼も同じ。
飢渇や醜い姿で苦しむ餓鬼に引き比べ、わが身の境涯のありがたさを心より感謝して、餓鬼の苦患を憐れみ救いたい心がないなら施餓鬼にはならない。
餓鬼に堕している仏弟子・目連尊者の母。これを救うため釈尊が彼に勧めたのが千僧供養。
今もインドなどでは修行者に食事を布施することがさかんだ。
神通第一の目連をしてもなお神通力や超能力ではなく、供養によって作ったその功徳を回向し、はじめて母を救いえたのだ。