「霊的国防論」という言葉があるそうだ。
ある神道教団で使われた用語らしい。
どういうことだかよく知らないが・・・・古神道でよく言うユダヤ陰謀論などはここから出ているらしい。
そういうことは正直私には皆目わからない。興味も全くない。
中にはゼレンスキー氏がユダヤ人だからとロシアの侵略行為を応援する人もいるようだが…気が知れない。私がいわゆる古神道があまり好きになれないのはこういうところにある。
ここで私が思う霊的な国防とは私たちが国を愛することと変わらない。
愛する気持ちが強ければ国は守られる。
ここでいう国を愛することとは私たちの歴史を愛することだ。
むろん歴史は戦いで血塗られているのはどこの国でも同じだ。
どこの国でも身分制度や封建制度があり、多くの庶民はつらい目にもあってきた歴史がある。
だが良くも悪くもそうした凄惨で矛盾だらけの歴史があってこそ今がある。
そこは我々人類に共通だ。
近代民主国家が忽然とは現れないのだ。
過去の過ちを裁く知恵、それこそがそうしてできてきたのだ。
革命によって過去の歴史を否定し、新たになった国も時を重ねれば様々な問題は起きてくる。そこはなにも変わらない。
人間だって全く同じだ。人の一生は良いことも悪い事もある。
想い出すだけでひどく悔やまれたり恥ずかしいこともある。
だがそれがあって学びがあり、学びがあって今の自分がある。
そして過去には戻れない。
それでも自分は自分を愛すべきなのだ。
たとえ刑罰を受けた人でもそうだ。
真の更生は自己否定からは生まれない。
愛するがゆえに現在から未来への過ちには厳しくあらねばならない。
だが過去をすべて否定して今現在だけを愛することはできない。
芋虫を否定して殺せば蝶々は生まれないのだ。
国家の霊的なバリアーもそうした人々が自らの国を愛することによってできている。
大事なことはそれは自分の国だけではなくどこの国にとっても同じだということだ。