殺人などの凶悪犯罪に関しては18歳以上なら、少年ではないのだから実名報道が可能でも当然だろう。
仏教の立場で慈悲にかけると思うだろうか?
だが仏教における罪や過ちの扱いは「已作の罪は敢えてこれを伏さず 未作の罪はこれを作らじ」が基本である。
「相手は未来がある。殺された側はもう未来はないのだから、黙っておれ」では理屈が通らぬ。
例の神戸のサカキバラの事件でも一部で加害者の名前が流出。
かわいそう!ひどすぎる‼と怒った人がいたが私にはそういう怒りの意味が分からない。
むしろは加害者側の立場にしかたたないそういうものの考えのほうが腹が立つ。
どこがひどすぎるのか?
殺された子は名前も出る。
当然、遺族も出る。近所でも職場でも隠しようがない。
何の準備もなく即世間にさらされていやおうなしに衆目を集めてしまう。
むごいというならこれをむごいというべきだろう。
加害者の身元が流出してもむしろ社会的制裁というべきだろう。
それで例の少年は名前を隠し、居場所も隠したた例の少年は立派な社会人というに足る人物になったのだろうか?
ましてや少年犯罪でも大人になったら秘匿されず名前は世の中に出て当然だ。
未来があるというなら少年でなくとも成人の加害者にも未来はある。
死刑囚だって刑が執行されるまでは未来がある。
そこを考えるなら犯罪の実名報道自体が無用だろう。
だが、それでは被害者の立つ瀬はない。
私は本当にそう思う。エイプリルフールでかりそめにいうような話ではない。