昨日に引き続き京都に残り、あるお寺様で不動尊花水供の御伝授をさせていただいた。
阿闍梨さんではあるが初心のお坊様でしたので、少し聖天さまの話をさせていただいた。
「あなたはどういう風になりたいですか?」
「チャンと神仏を拝めるようになりたいです。」
「それでは答えとして足らない。世間や衆生に何をほどこしていくお坊さんになりたいですか?」
「それなら祈祷を施していく僧侶になりたいです。」
「そう、だったら聖天様をしっかり拝みなさいな。
聖天様を祈願するには本当は志というものがいる。ここざしのない願いは本当の大願ではない。何を施すかが志だと思います。」
健康不安があるそうですがしっかり聖天信仰したら必ず目的に連れて行ってくれます。
それは何の世界でも一緒だと思う。
志を立てたら紆余曲折やものの大小はあっても必ず目的に至る。
それが聖天信仰。
ただし拝む世界の人なら人生のかじ取りは聖天様に任せないといけません。
自分勝手にはいかない。