料理を祈願の成就として、祈願する人をそれを盛る器と考えてみたら・・・
一流の料理屋はおいしい料理なら何に盛ろうがおいしいから構わないとは言わない。
素敵な料理はそれなりの皿に盛りたい。
それでこそのお料理です。
祈願も全く同じ。
お粗末な状態のまま、大きな祈願を果たそうとするのは、割れた皿や粗末な紙の皿に立派なお料理を盛るのと同じように残念なこと。
器が負ける。料理もおいしく見えない。
良い料理を盛るには、まず器を良くしないといけません。
人間をつくるということ。
即ち人の器量を作る。
ましてや料理と違って器にあった結果しか盛れないのが祈願というものです。