聖天様には志を祈る。
事業家として立ちたい。
音楽家として立ちたい。
シェフになりたい。
政治の道に行きたい。
宗教家として立ちたい。
そういう大きなことを祈るべきだと思っています。
そうすればそういう方向に始動しだす。
だけどそれに付随してあまりに細かいことは色々設定してもはっきり言って無駄です。
聖天様に任せておいたらいい。
そういう細かいことのなかには純粋につまらぬ欲の部分もある。
そういうのと志をごっちゃにしてはいけない。
例えば政治家になりたいのと豪邸に住みたいのは関係ない。
宗教家になりたいのと有名になりたいのは関係ない。
そういう「ついで」や「ないまぜ」は嫌うのが天尊と思います。
細かいことはかなわないという意味ではない。
目的をはっきりさえるということ。
お金が欲しいならお金と初めから言う。
でもそれだけでは聖天様から見れば志のない小さな祈願になります。
何のためにお金が欲しいのか?
お金がなくても叶うことはある、
本当に欲しいものを言う。
最終的にこれが欲しいというものを言うべきです。
聖天さまは「アマゾン」みたいなお取り寄せじゃない。
目的に必要なものを取り寄せるのではなく、目標に必要な道やものの調達は聖天様に任す。
まずは最終目的を定めてお願いする。
そうすれば状況はそっちに動き出す。
そういう意味の「任す祈願」のありかたがお好きなのが聖天様だと私は思います。