金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

歴史を学ばねばダメ

住み込み弟子が歴史に関心がないのでこれではダメだと叱っている。

言語に堪能でなく歴史に関心無くしてリーダー性のある人は私は知らないからだ。

リーダーにならないならうちは住み込みの弟子は要らない。

別に手伝いをしてもらって楽だからと、ありもしない可能性を期待させることはその人の人生の無駄だからだ。私にとっても時間の無駄でしかない。

できないというならとっととやめるがいい。

 

これはただ、僧籍を持つのみならどうでもいいが、将来的に教会長なり住職なりになるのなら必要なこと、大切なことだと思っています。

教会長も住職も仏教の導師である。

いわばリーダーだ。

リーダー性のない人は養成しても無駄だ。

長くいるなら誰でも教会を持って欲しいとかはない。

ただ一生自行でもよいのです。

伝教大師は「よく行いよく言うものは国の宝 よく言いよく行わざるものは国の師

良く行いよく言わざるものは国の用

よく言わず行わざるものは国賊」と言われた。

かなり厳しいお言葉です。

その心を解するに天台僧はよく言うかよく行うかでなければなった意味がない。

要するにリーダーの要素のないものを養成しないという意味でしょう。

 

能力的差別だといわれればそうだがリーダーを作ることと思えばそれでいいと思う。

猫も杓子も自分が仏道修行したいだけの人が住職になる必要はない。

そのトレーニングも無用だ。

加えて、まがりなりにも住職というのは仏教の導師、つまりリーダ―であるからその要素のないものはドダイ無理なのです。

そう言う人にはあえて僧侶の階級もいらないと思っているし、密教も教えることはしない。

 

本人に言わすと受験ではかなりやりこんだが年号とかいつ何があったような話で内容を知らない。

そんな勉強は実質無意味だ。

何がどうして起きたかが大事なのだ。それを学ばずに歴史を学んだなどとは言えない。

今の学校教育は歴史に対して誠に貧弱で話にならない。

歴史は実際あったことだ。

実際あったことから学ばずにどこから学ぶのだろうか。