黒いスーツに身を包み、ベルトを持って会場に現れた武尊は、6月19日におこなわれた那須川天心(23)との試合について、ファンや関係者らに感謝の意を表明。続けて、腰の分離滑り症や前十字靭帯損傷など、これまで公表してこなかったさまざまなコンディションの不調を抱えていることを明かし、コンディションを正常に戻すため、格闘家としての人生を無期限休養期間とすることを発表した。 また肉体面だけでなく、精神面でも不調に苦しんでいたことを告白。数年前から精神科に通っており、パニック障害とうつ病と診断されたことを語った。本人は「公表するか悩んだ」としながらも、「一回、しっかり休んで、最高の心と体で戻ってくる」と、涙を浮かべながらも前向きな決意を表明した。
うつ病やパニック障害は珍しくない。
現在までの私の周囲にも決して少なくない。
精神疾患というと「え!精神疾患?」というが、肉体だってよく病気になることはあるだろうに。
心だけは病まないとは言えない。
私自身、神経症やうつ病もあった。
正確にはそれらしきものだ。
一回も医者に行かず終いだからわからないけど、今症状から思えばそうなのかも…
いずれも私の場合は急性の時は松江先生の漢方薬を処方していただくか、日常的には濱地天松居士所伝の金剛禅により回復させてきた。
座禅が良く精神疾患を癒すのはリラックス状態だからでも脳からアルファー波やシータ波が出てるからでもない。
ただのリラックスならば心を休めはするが、日常の喧騒に戻れば元の木阿弥だ。
それ以前の仏教的な思想背景への理解がものをいう。
きわめて乱暴に言うなら空理により本来自我も心も存在しない。
仮にあるだけのものという理解がこころの病を回復させるのだと思う。
ないものが悩んだり、病んだりしようがないからだ。
理解といっても知的理解だけではなかなかそこまでいかない。
いうなれば小さな悟りがあってこそ病を除く。
だからただリラクゼーションだけでは不足だと思う。本当に休まるには観の転換 コンバージョンが必要だと考えています。
そんなものになってたまるか!と思っていると案外簡単になったりする。
昔は心を病むことは心が惰弱だからだと言われる時代もあった。
それでさらに一種の罪悪感まで生まれ、精神疾患をひた隠しにする二重苦にさいなまれるのだ。
今でもそういう傾向がないとは言えないかもしれない。
でもそれは全くの馬鹿げた考えなのだ。
武尊選手のような厳しい克己心に裏打ちされた素晴らしい選手でさえなるときはなる。
それが精神疾患。振り向けばそこに精神疾患。
まず病気に対する自分の罪悪感のようなものがあればそれをさっさと捨てよう。
それが治療の第一歩だ。