背中わせの双身毘沙門天像。
一方は毘沙門天、もう一つは半天婆羅門という悪神。
毘沙門天が善の修行をしたとするなら彼は悪魔の修行者。
でも二人は兄弟です。
同じ血を分けた存在。
善悪は対立するから背きあうけど実は表裏一体。
だから半天婆羅門と毘沙門天は縁は切れない。
私たちも悪無くしては存在しない。
そしてもちろん善無くしても生きられない。
悪と私たちは常に背中合わせに生きている。
毘沙門天ももう一人の自分なら半天婆羅門も同じ自分だ。
だが煩悩といい志といい、大元は「生きる心」に変わりはない。
生きる方法を誤れば悪となる。それだけのこと。
その生きる心こそ善悪を超えた存在。
悪は悪ならず 善は善ならず
本有の大日だ。
生きることを措いて善も悪もない。
死ぬることも同じだ。
生あって死がある。死があるから生がある。