金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

半天婆羅門の教え

背中わせの双身毘沙門天像。

一方は毘沙門天、もう一つは半天婆羅門という悪神。

毘沙門天が善の修行をしたとするなら彼は悪魔の修行者。

でも二人は兄弟です。

同じ血を分けた存在。

善悪は対立するから背きあうけど実は表裏一体。

だから半天婆羅門と毘沙門天は縁は切れない。

私たちも悪無くしては存在しない。

そしてもちろん善無くしても生きられない。

悪と私たちは常に背中合わせに生きている。

毘沙門天ももう一人の自分なら半天婆羅門も同じ自分だ。

 

だが煩悩といい志といい、大元は「生きる心」に変わりはない。

生きる方法を誤れば悪となる。それだけのこと。

その生きる心こそ善悪を超えた存在。

悪は悪ならず 善は善ならず

本有の大日だ。

生きることを措いて善も悪もない。

死ぬることも同じだ。

生あって死がある。死があるから生がある。