寺での専門的修行を学校に行くように思っている人がいるがそうではない。
手取り足取り勉強がおくれる人がないよう。
それが第一なのが学校だが、そういう風では全然ない。
むしろ進学塾のようにできる人間、出来ない人間によって差が大きくある。扱いもそれによって全然違う。
寺に小僧に行けばすぐわかることだ、
手取り足取りなど教えない。
見て覚えろだ。ぼやぼやしてたら怒鳴り飛ばされる。
わざわざ教える時間など一回もあればいい方だ。
それが寺だ。
教えるところ以上に学ぶところなのだ。
そこで使い物にならないものなど早晩出ていくほかない。
世間が大きく勘違いしているのは寺は親切にいろいろ教えて、育んでくれる場所。扱いも平等で差異などない世界だという思い込みだ。
トンデモナイ!
全く真逆である。
口開けて待っているだけなら最後には出て行けと言われる。
断っておくがそれを私は別に問題だとは思っていない。
私もおおむねそう思うからだ。うちも大筋ではその方針です。
ろくに何もできないものに教えて、何度も親切に工夫してできるように導いて見守り、できたら拍手喝采し手を取り合って喜び合うなどしている場ではないのだ。
寺は仏教の実践現場だからだ。
それが全然わからないで門を叩く人が多い。