金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

歌舞伎にみる乗と戒

先月ですが歌舞伎にいってきました。飲み物はいいのですがお食事はダメとのこと

一幕目のだし物は「菅原伝授手習鑑 車引き」

菅原道真を讒訴したにっくき藤原時平(猿之助)を討とうとする二兄弟。また今一人は時平の家来。

時平の道中、車を襲うものと守るもの三兄弟が渡り合う。

だが、近々、古希の祝いを迎える父を悲しませてはならない。それにはだれ一人討たれても親不孝でいけないと悩む三人。

藤原時平が牛車より現れ、襲い掛かる二人を𠮟咤し、三兄弟は決着を先延ばしにして再会を期す。

ここで着目したいのは時平の威光に恐れおののく二兄弟です。

藤原時平は菅公讒言の張本人。だがここで描かれる時平は威光赫々たる殿上人。

敵役にも一種の神威をあらわす設定です。

二幕目は「猪八戒」

村人の難儀を救うため、妖魔霊感大王のいけにえの少女「一掌金」に化ける猪八戒。

こちらも主役は猿之助さん

原作の西遊記では猪八戒だけでなく、童子に化けた孫悟空も登場するのだけど。ここではコミカルなしぐさを楽しむためか猪八戒が主役。

大酒を飲んで霊感大王を待ちかまえる猪八戒。

 

洗われた霊感大王は少女らしからぬ数々の乱暴の振る舞いについに相手が一掌金でないと気づく。

「今はこれまで」と本相をあらわして九刺のまぐわを振るい打ってかかる猪八戒。

             

霊感大王は原作では南海補陀落浄土において日夜、お経を聞いて通力を得た金魚という設定。

この舞台も霊感大王は冠も魚っぽい。

原作では八十万八千里の道中でも屈指の強さを誇る妖怪だが、この舞台では八戒相手に苦戦する。

そこに孫悟空と沙悟浄も応援に参上。

大王も赤と緑の強力な女怪や水族の化け物を総動員して戦うが、台本では仏の力を受けている八戒達についには屈しやぶれるとある。

舞台では打ちとられずに両者陣営のにらみ合いで見えを切って幕。

実は原作では悟空たち三人が力を合わせて戦っても霊感大王は強力で負けない。

ついに観世音菩薩がおでましに。

神通を振るって大王をたちまち元の金魚にかえし、かごにおさめて南海浄土につれて連れ帰るというお話。

西遊記ではこれが「魚籃観音」のお姿の起源だと解説します。

 

このお話、仏教的にはたとえ鳥獣魚虫とえども仏教の薫習を受ければ神通力を持つような大きな果報を持つという話でもある。

西遊記ではほかにもそういう由来のある妖怪がいろいろ出てきます。

この思想は東アジアの大乗仏教を貫いている。

だが菩薩にならず妖怪になったのはなぜか?ここに仏教の「乗戒俱急」という考えが裏にあると思います。

修行という仏教の方法論に明け暮れるのを「乗急」といい。

戒のような行いを厳密に修するのをそのまま「戒急」という。

逆に怠けるのを「緩」という。

ともに急。つまりなら「乗戒俱急」は菩薩になる。戒だけ急なら羅漢さん、乗だけ急なら通力のある鬼神や八部衆になる。

霊感大王は「乗急戒緩」で鬼神となった。

先の話も乗、戒ともに優れた菅原道真は讒訴の怒りのためについに火雷自在王という鬼神になる。つまり仏教的に言うなら「不瞋恚」という戒の敗れた状態だったわけでしょう。

「神道記」では宮中を落雷で焼き、藤原時平を殺す。

怒りが収まり供養されれば、もともとの徳分で神様の天満宮になる。

 

私の場合は怠け者ですから「乗戒俱緩慢」でたぶんどっちも不合格ですね(笑)