「空」ということを勘違いしている人がいる。
自分が空気や屁のような存在と思うことなど空の理解とはほど遠い。
アホウの空論だ。
「死ねば何もなくなるから空」などというに至っては幼児にも等しい仏教の理解だ。
僧侶でもその程度の理解だ。
私は三世思想を否定するものは仏教ではないと思っています。
祖師はそうではないのでそのように曲がってしまった宗派も多い。
仏教と考えればおよそ無価値だと思う。
天台には「相即」という考えがある。
空はすべてである。
存在がそのまま空である。
真如がそのまま存在である。
空がそのまま真如である。
それはすべて我という存在から始まる。
無我というが我を抜いて仏教などない。
我の概念が転じるのが無我だ。
我を否定する考えではなにものも理解することはないだろう。
我を措いてだれが仏道を証するのか。
我を措いてだれが往生するのか。
我がなければ仏教も真如実相もへちまもない。
そこを離れて価値あるものがあると考えるのはすなわち外道である。
魔説である。
我はそのまま真如であり、かつ空である。そこに寸分の間隙もない。