勧めてくれる人があってアニメ映画「犬王」をみました。
時は室町時代、平家の怨霊を一身に受けて怪物のような姿に生まれた犬王と、三種の神器の一つ天叢雲剣の刃を見てしまったために目がつぶれたために琵琶法師となって諸国を遊行する青年。
ふたりは出会って全く今までとは違う猿楽と琵琶を提供していこうとする。
テーマは自らの呪いを解くための新編「平家物語」。
勧めてくれた人の言うようにストーリー設定はほぼ手塚治虫の「どろろ」だ。
だが全編、琵琶というよりロックが流れる新作品。
二人は最後の呪縛を解くべく、請われるままに足利将軍家の前で演奏することとなるが・・・。
このなかに「龍畜経」という言葉が出てくる。
これは意外だ。よく勉強している。
これは実は法華経の提婆達多品のこと。龍女成仏の説話が説かれる。
龍女成仏で現代では女人成仏でばかりこのお経を言うが・・・龍女は女性である前に動物だ。人ではない。龍畜の類だ。
延いては歴史の中で存在した人にして人ならざる身、人数ならぬ身祭りわぬ人々がこのお経を依怙としたことは想像に難くないことだ。
この犬王にしてもそうだ。
元来遊芸の者は卑しきものだった。それが室町時代、公家や将軍家に愛される文化人としての能楽者が生まれてくる。芸術の誕生だ。
だが犬王はあくまでそれ以前の存在だ。名前からしてわかる。
となると提婆達多品の果たして来た役割は非常に大きいのだ。
まつろわぬ人たちはこのお経の存在を知れば自分たちの中にも宝珠にも等しい仏性があるという大いなる安心をえただろう。勿論、そういう人々は話に聞くのがせいぜいで経典自体は目にすることすらなかったろうが・・・。
ただただジェンダー問題に限定してバカのひとつ憶えの如く「女人成仏」だけに着目して考えては歴史の中で果たしてきたこのお経の真価を大きく見失うだろう。