お釈迦様は占い禁止とか言うけど、それは世辞一切に関わらなことによって解脱するのが原始仏教の当たりまえだからだと思う。
占いの対象は世事です。
占い師の占いの場合はその世事の聞かれたことを正確に答えを出すというのが仕事。
まあ、いってみればあてなくっちゃ意味ない。
だが、僧侶の場合は占いはしても請われるままに答えを出すとは限らない。
占術家とは立場が違う。
「そんなことは仏教的にNO!」というようなことには答えは出せない。
例えば、デパートのコーナー占いには「不倫」という項目があるものもあるとか。
不倫されて悩んでいる人だけでなく、不倫している人も来る。
ばれないように旅行に行くにはいつがいいか、どの方位がいい?とかもあるそうな。
そんな人に倫理観から「それはいけないことですよ」などといえばデパートにはクレームが来て外されます。
お客様に説教するなんて絶対に駄目です。
まあ、これが宅占、つまり自宅での占いならそこは自由だ。
そのまま見るもよし、帰ってもらうもよし。
考え次第です。
ベテランの占い師さんの中には独自の観点でお説教する人も少なくない。
僧侶はまず道を違えないことが第一。そういう意味では「占い師」になりきってはいけない。
請われるままに是非無く何でもOKじゃ僧侶の占術じゃないね。
私も筋違いだということははっきり言うことにしています。
だから「さあ、いらっしゃい」という風じゃない。それでいいと思っています。
相談よりもこの人の祈願をするうえで知っておくことは…と必要上みるだけのことがはるかに多い。
相談で請われて見たのではない場合、内容は別によほどでない限り告げません。
密教の宿曜占いなんかははじめはむしろ仏教行事をスムースにするためのものでした。
今でも表白などで「曜宿相応の時分を選び定めて云々」という。