自分はどうあるかが仏教では大事。
人と比べることは修行の上ではさほど大事ではない。
仏教は「平等」の心を大事にするが、それは自分が人々が平等に接するようにということで、自分と人が平等じゃなきゃすぐに不平を鳴らすとか、文句を言うといった意味ではない。
ましてや修行の成果とは突き詰めれば個のものだ。
同じように寝起きして日程をこなし、経を読み、座禅し、作務を行いとかしていても心境の進み具合は人それぞれで決して一緒ではない。
その違いを環境や指導者のせいにはできることではない。
問題にぶつかれば、それは責任が誰にあるかなどということより、ここで自分がすべきことは一体なにかが修行者の考えだ。
平等の中にも差別がある。
差別の中にも平等がある。
最近の世の中は何かというと自他の比較にあふれているがそういう考えで、到底徳など積めたものではないだろう。
ましてややっかみや妬みなどは修行者にあるべきものではない。
すぐに人と比べようという考えは間違いなく人を卑しくする道だ。
そのような人と交際すれば間違いなく徳を失う。
修行者はかかる考えをもっぱらにしてはいけない。