命理学の王道といえば「四柱推命」であるといわれています。
私は今まで宿曜と九星だけでほとんどのことをしてきたのでなじみがなく、今回
ようやく学習することになりました。
でも学んでみてわかることは人の運勢とは別に定めというか運命というものはある。
つまり人生に枠組みというものがあるということを教えられる。
仏教でも宿命通という言葉があり宿命は否定していない。
まあ、仏教はその淵源としてのカルマを言いますが、命理学の世界ではこの世の出発点の生まれた年月日時をいう。
生年月日で大きな違いがあるのは受け入れがたい人もいますが、命理学はそれで成り立っている。
でも現実を見ればすぐわかることだが人間は何でもかんでも自由ではない。性別、時代、地域、これだけでもかなり限定されてくる。
「だれでもなんでも思うまま」というのはスピリチュアルな方がお好きな言葉だがそれは人生に無知なだけではなかろうか。
誰でも命理的に弱い部分、つたなき部分、強い部分。良い部分はある。
そこに耳を傾ければ、良いと聞けば宿世のご縁に感謝し、悪い部分は過去の業に想いを馳せ懺悔する。
また人の運命をきけば誰でも同じことができるわけではないので寛容になれる。
このように占術も十分仏教の信仰としてとらえられると私は思います。
占いを釈尊は否定したからというような断片的な知識だけで仏教徒が占術などすべきでないなどというのは宝を溝に捨てる行為だ。
上座部にも占いはあり、タイなどでは人気があるらしい。