危ない宗教の特徴
1 教祖を神に次ぐ存在として崇拝する。その言葉を唯一絶対視する。
2 献金こそが誠意であるように言い、通常の経済観念を信仰の不足や間違いの様にな
じる。
3 人を集めることこそが信徒の使命であると吹聴して、家業を措いても信徒拡大に奔
走させる。
4 盲点にきずかれぬように個人的な研究や思索は悪だと禁止する。
そして、いづれもそれをすることが善であるというよりしないことが悪であり、神に対する罪だとなじる。また教団をやめようとすればよってたかって激しく妨害する。
このような宗教はいずれ社会問題を起すことは必定だ。
それで反社会的集団の一員になりたくないならそこは断固断るべきだ。
宗教の教えは皆それぞれだから自分と違うからと言って邪教呼ばわりするのはおかしい。
ここでいう邪教とは信じることによって災いを引き起こす悪魔の宗教を言う。
これらの宗教を撃退するにははっきり手短に「入信はしない。嫌だ。」という。
一度お話をなどと言ってのこのこ相手先に行けば死地に入ったも同然だ。
万一そうなったら礼儀などはかなぐりすてて修羅場になっても活路を開いて逃げる。
そこは毒蜘蛛の巣も同然だと想え。
入らない理由は「嫌な理由は説明する義務などない」「めんどうだからしない」とはねのける。何か聞かれても答えてはいけない。こういうものは長々しゃべらされる方が負けなのだ。
しゃべらなければ手の内も弱点も相手には見えない。
そもそも向こうは説得したいだけでこちらの話などになにも興味はありはない。
おとなしくいきたければ馬鹿になりきって、なにをいわれても「わかりません」「そう思いません」「お断りします」で通す。
強いて言うなら「お前のようになりたくないから」「お前は変だ」と言ってやればいい。
「入らないなら友達ではない」などというなら上等だ。即、その友達を捨てることだ。
ゾンビかバンパイアにでもなってしまったと見限る。実際人の生き血をすするから同じようなものだ。「友達無くすぞ!」など嗤うべきことをいうやつもいるが無くすのはそいつだからほおっておけばいい。
入らないと明言する 理由説明は一切しない。付き合いはこれを機会に辞める。
私は高校生のころからこの三つであらゆる勧誘をはねのけてきた。
統一教会も何度も接触してきたが絶対に入らなかった。
宗教ではない当時、共産党指導の若者集団「民青」(民主青年同盟)に入らないのも同じようにしてはねのけた。
まあ、これも一種の邪教と思っている。