阿弥陀の浄土信仰がはやる前は僧侶はなるべく長生きをすることが大事であった。
なぜなら、せっかく人間に生まれたてきたのであるから、この機にできるだけ長く修行したいからだ。
実に「人身受け難し、まさに今受くる 仏法会い難し まさに今あう」の心だったのだろう。
こんなことを言うとおおかたのひとは笑うかもしれないが、私自身、来世は猫になるのか、ダンゴムシになるのか、ドジョウになるのかわからないと思っています。
人様はどうあれ、私はむしろそういう信仰を大事にしたい。
それでも昔は人間は一般に40歳~50歳くらいで皆亡くなった。
天台大師60歳 弘法大師61歳 伝教大師55歳・・・慈覚大師70歳
智証大師74歳 理源大師77歳
興教大師はなんと49歳
僧侶は長生きといってもそんな感じだ。
これでどの方も大変な仏教的偉業を残した。いかに修行熱心だったか。移動するだけでも手段がないのに外国にまで行った。
凡人がこのような偉大な方々と当然比べるべきではないがそれを想うといい年をして何事ができただろうか?と思うことは多い。
「人生50年、夜はその半ばを過ぎる。つとむべし、つとむべし。」という智証大師のお言葉があるがもっともである。
現代では人生100年時代などといっても正味は50年というのが本当だろう。
夜は寝るのは今も昔も同じこと。
たとえ、非才、非器の身といえども、否、そうであればこそなおさらに肝に銘ずべきことと思います。