金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

問答「兆しのかたち」

講員様「こちらは今日の空です。
胸に日を抱いた金翅鳥のような彩雲です。」


羽田 「顔みたいにみえるかも」


講員様「 顔に見立てるとちょっと恐ろしさのある笑顔に見えます。歯というか牙という  

    か・・・」
羽田 「嘴ですね」


講員様「 なるほど!
   それでは金翅鳥様ということで、この空を見てお寺が気になったの
   は正解と思って良いでしょうか。」
(信仰なので、いつも気にしておりますけれども)


 羽田「 そう思えばそうというだけのこと
    なにを読み取るかはその人の心がそれを必要かどうかだけ
   ほかにはない」
 羽田 「私でもあなたでもそこは同じ
      何も違わない
    ロウソクが龍に見えても龍ではない
    竜のメッセージを読み解くのはそう見える人だけ
    ただのろうそくといえばロウソクはロウソク、雲は雲、シミはシミ。

    それだけです。
  意味は自分の方にあってそこは主観の世界
   語る必要もない  人は人、私は私
    それを共通了解にしたいというのがわかっていない自称霊能者です
     ばかばかしいので来るそばから追い返しています。」


講員様「ご指導ありがとうございます。

   自分の心象の投影、ゲシュタルト効果のようなものと理解しました。

   また、それは自分の内面の話として考えるようにします。」


羽田「 アンタがそう思うなら私がどう思おうと関係ないでしょというのに見てもらいた  

    がる。必要ないのにね。

     ルビンの壺というのを知っていますか?そういうもの。」

 

講員様「 はい。つまり・・・・このようなことで共感や承認を求めるのは、

   ロールシャッハテストで「正解」を求めるようなものですね。たしかに無意味で 

    す。 無意味というか、必要はないですね。」

 

羽田「 そうです、ただ正解はある。人によって違うだけ。
    それはその人にとっての正解
     それで意味があるならいい
     人がどう思おうと関係ない
   こうしたことに俯瞰的立場の正解などない
   ああ、金翅鳥だなといえば金翅鳥
    それがどういう意味を持つのかは自分しかわからない
    私も虹を見ると八大龍王様と思い手を合わす。だが虹はただの虹です。

    それは百も承知だ
     人に見せれば面白いというだけのこと
    色々に見えても護摩の炎も同じ、ただの火です。そのほかの何物でもない
    「音声を以て我を求め、色を以て我を求める者、この人は邪道を行ずる」と

    金剛般若経にある通りです。


 羽田「大事なのはいうなれば兆しとしてみるのか否かだけ」


講員様「 護摩の炎の形について、こだわれば邪義になると以前ブログでも書かれていま   

    したね。「ああ、これはそうだなぁ」と自分の心が感じることを、またそのま    

    まに感じるだけとする。そのような捉え方をしたいと思います。」

 

羽田「その兆しに達するものを達人とします。

   梅の花の枝で争う小鳥を見て隣家の娘の   

   怪我を予知した邵康節の話もあります。

    全てはかたちに隠れたる兆し」


講員様「 梅花心易の話ですね、これはとても面白いですね。
     ありがとうございます。」