金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈りはすべてを支配はしない。

寺社でも行者でも大きな霊験があれば評判が上がるのは自然だが、結果的に時に思ってもいない大きな結果に得ることもある。

行者といえども人であるから、そうなると験力を誇るのも人情ではあるが・・・

祈るのは自分だが、もとより自分が直には何もしていないのだから、そこは謙虚でなくてはいけない。

何よりも大きな結果を得て喜ばしいと思うなら、信徒も行者もそれは本尊に心を運ぶべきことだ。

まいてや争いごとの祈願で、そこまでは思っていなくても偶々、相手が死んだりすれば、その人は良くも悪くも恐ろしい呪力があると思われるだろう。

迷惑であるが・・・

そんなときもあれもこれも自分の呪力だなどと口走ってはいけないのはいうまでもない物事の結果は関係する人々の持つ因果によって最終的に運ばれていく。

祈りはその中の一要素にすぎない。

絶対的にすべての条件をクリアして結果を出せると思うのは間違いだ。