法華経・譬喩品で釈尊が言われた言葉
「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子」
今此の三界はことごとくわが有なり。その中の衆生はことごとく我が子なり。
これは大聖釈尊のみならず私たちにも同じことが言えることです。
この世と私たちは一体です。
環境なくして我々は存在しない。
そういう意味では三界は我々の認識に中にある。
そこに生きる存在も当然我々のうちにある。我が子とは言わずとも兄弟。同胞であります。
ある意味全ては我でもある。宇宙は我である。その意味ではすべてが我がうちにある。
これは釈尊でも我々でも猫でも昆虫でも同じことです。
皆一体、自分を離れた存在はない。
「諸法実相」とは全てが分かちがたくこの世で最も大切なこの自分と同じ尊いものであるということです。
ある意味、震災も疫病も戦争も日常の問題もすべてわがうちに起きている。
外ではない。
なんとなればそれを認識できるということで同じなのです。
まったく認識不可能なものなら違うかもしれない。でもそうではない。
法華経の慈悲の根源はここにあると思います。
専門的な話で恐縮ですが、密教の入三昧耶においての広観、斂観の内にもこの想いをなせばその行法はより多くの衆生とつながれると信じます。