大森先生の施餓鬼は河童から何から皆ご供養する。
中にはこれってどうなのかな?という人もあろうが、仏教ではすべて供養するというのが基本的態度。
基本的にいえば作法や形の違いはありますが祈祷も供養も本質は同じです。
供養も祈祷であり、祈祷も供養でなくてはならない。
施餓鬼というものの餓鬼のみならず全てをその行法に入れて供養することは可能です。
魔王や悪魔といえども釈尊説法の座には連なった。
竜や迦楼羅、天と修羅のような宿敵もともに仏説を拝聴した
供養の相手に差別はないのが仏教です。
私がするように九字など切って強制的に退散せしめるのはあくまで本来から言えば変則的なあり方なのです。
そうした悪霊や悪魔も最終的には供養されるべきなのが仏教の精神です。
だから仏教においては歓喜天や鬼子母神のような前科のある方も護法神になれるのです。