時々古仏を開眼してくれと言われる。
これって神仏に比べて断然構難しい。
抜根作法もただすれば抜けるというものではない。
まず今までの因縁を払うのに本尊供をしていままでのご苦労を謝しておあがりいただく。
それから数日して改めて施主の名のもとに勧請します。
だから二度拝まないといけない。
それでも古仏を私が買う理由は出来がいいものが多い。
現代のものは儀軌を見ていないから持仏などが往々間違っている。
亦。古仏をふたたび修繕して拝むことは功徳であり。作成した人や信仰した人の心を活かすことだからです。
一方で善くない因縁のものもあり、通り一遍には開眼できないものもあります。
俗な言い方をすれば出来のいい悪いにかかわらずあたり、はずれがある。
最近特にそう思い、二度拝みしている。古仏開眼を頼む人はそう心得て欲しい。