子供を餓死に追い込んだ愚かさを絵にかいたようなバカな母親 碇被告。
ふてぶてしい化け物のようなその友達 赤堀被告。
愚かな母親はこの支配的な怪物的友達のいうがままにを依存しきっていたんだろう。
まあ、愚婦愚民と邪教のような関係だ。
邪教の縮図がここにある。
この母なる女の愚かさは大きな罪だ。
家財を傾け邪教に寄付した山上被告の母のようなものだ。
それが負の連鎖を生む。
だがこの縮図は往々にして世間の至る所にある。
人生のハンドルを他人に任せればこういう結果だ。
どんな人でもハンドルは自分が取らなきゃだめだ。
宗教をそういうものと勘違いしているバカがいる。
そう思わせたい邪悪な宗教も存在する。
私自身も何にも自分で決められない頼り切りの依存信者は「それは自分で考えてください。そこは自分で決めることでしょう。」と突っぱねる。
そういう人は気持ち悪い。