結構難しいことだが少しも自分を入れず拝む。
それが大事なことだ。
自分の印象から得た人のイメージで肩に力が入ったり、逆に放逸に流れたりがあってはならない。
自分のお客ではない、仏の客、本尊のお客だ。
感情移入しないというだけならやる気のない祈祷も同然だが、そうではない。
本尊の使者としての使命は果たさないといけない。
心は基本的に人でなく本尊の方を向いていないといけないのだ。
そこが福祉や社会事業の心とはおおきに違うところだ。
稀にこの人はこうしてやるがいい…というような指示がある。それは実行するが別だ。
それは私の判断ではない。