総代さんがお彼岸のお墓参りして「祖父以来の稼業を自分の代でもう辞めるんだけど、先祖が怒っているかしら?」と聞かれた。
写真を見せてもらったら怒ってはいないが皆さんあつまって「当家はずいぶん人が少なくなってしまったものだ・・・」という嘆きは伝わってくる。
この総代さんは独身です。
お墓参りもおひとりで行かれた。
私と一つ違いだからもう結婚はほぼないですね。
あっても子供さんはできないでしょう。
家系としてはほぼジ・エンド。
それが悲しい。
こういう言葉を発しているのは実は残留思念です。これはこれで一種の生命のようなものですが輪廻していくほうじゃない。
魂魄でいえば魄のほう。
「三魂七魄」といってこの世で活躍するのは七割の魄のほう。
要するにこの世に残った薫習の意識です。
死んだ時点で止まってしまうものと、その後も生前の意識の延長で活動するものとあります。
本物の方は輪廻して今どこかにいるんでしょうけど・・・。
私たちが霊魂と言っているものの多くはこれ。
じゃあこういうのは相手しないで放っておけばいいのか?
いやいや。そうではないのです。
これはこれで影響してきますから生きている人にとってはこっちを相手にする方がむしろ大事。
例えば死んだおばあちゃんはもうどこかに転生してればあなたのお祖母ちゃんでhない。
でもこの世にはあなたのおばちゃんとしての意識は残って活動する。
ダミーだけどね。
これが消滅に至るまでしなきゃいけないのがいわゆる年期法要であります。
年期法要をきちんとしている家が栄えるのは残留思念を慰めてうまく収めていけるからなのです。
みんな極楽行き決定なんだなんて絵空事のアバウトな教えではここは無理ですね。
なのでそう言う宗派さんでも年期法要はやるようです。
矛盾しててもしないよりやったほうが絶対にいい。
ホンネと建前は別だ。