真言念誦がうまくいかないという人がいます。
どううまくいかないのか?
集中できない。
イメージが作れない。
眠くなってしまう。
いろいろあるでしょうね。
それに同じ真言を何万遍と唱えると拒否反応も出てくる。
そこを通り越してなおも唱える。三落叉とか一洛叉はそういう世界。
まあ、自分で思うところのうまくいこうがいくまいがが拝んだ分は阿頼耶識に落ち込んでいます。
逆にうまくいっているというのも上滑りかもしれない。
人の心は天気のようなもの。
念誦はその中を生まずたゆまず旅する人ようなものでしょう。