教会設立を希望する人ですが、家族に関わりないようネットだけでやっていきたいとのこと。バーチャル寺院とでも言いましょうか。
画期的ですね!
つまり信徒さんとは接触しないようにしたいというのが家族の要望。
だがそれは土台無理です。
教会とは看板掛けて、人の出入りや祭典があって教会です。
本山の宗例にもそうなっている。
人がわさわさ出入りしてなんぼです。
商売と割り切ればそういう発想もおおいに面白いが、商売と思う人間を門下からは絶対に出す気はない。
収入の柱がもう一つ欲しいからやりたいとか・・・・
この人と話すけど話せば話すほどに宗教のとらえかたが私とは根底から違う。
しゃべるたびに減滅する。
時には時間外でもなじみの信者となれば、やってきたり、祈祷したりするのが行者だ。
私なんか夜中の電話に何度起きて水かぶって祈願をしたことか。
信者のみならず犬や猫が危ないということでも今でも夜遅く祈ることだって今だにある。
時には食事ものんびりとはしていられない。
いいかえるならプライベートが侵害されるのが寺や教会。
そこまでして人はついてくる。
大寺院ならともかくキッカリきれいに線引きして任意団体の行者がつとまるか。
そういうのが嫌なら教会やろうなどとは考えないことだ。
生半可なことで行者になれると思う人が多すぎる。
情け容赦なくドンドン切ります。
世のため、人のため、本人のためです。