聖天信仰の次第書には十善戒がない。
師匠は仏教なのだから戒がないのはおかしいということで
1貪らない
2怒らない
3愚痴を言わぬ
4素直に生きる
6正直に生きる
という五つを聖天信者に守らせました。
形だけの道徳だと思っていたらおおまちがいで違背すれば峻烈にとがめを受ける。
ある人が師と同行して四国遍路に行った。
本堂で拝んでいたら役僧さんらしき人が前を横切った。
無礼だと激烈に怒り、怒鳴ったら、その日の晩に電話がきて家で不測のことが出たので至急かえって来いと言って結願せずに帰らされた。
前を横切る奴が悪いは世間の理屈。
四国遍路は遊びじゃない。修行だ。
約束は約束。
修行者は破れば徹底して叩かれる。
同じバス遍路の旅でお隣の人とお接待しあうということで卵をいただいた人。
ちょっとつぶれていたので「私、玉子食べるとアレルギーでるんですみません」と断っておいて、その晩、旅館で食べた卵は喜んで食べたら、本当に猛烈に発疹が出た。
アレルギーというのは噓だったのに。
四国に行けばこういうことは顕著だが日常でも同じ。
素直、正直でない。言い換えれば邪見。
その心から感謝が薄く、もっともっとという貪りの心が起こる。
聖天様はサービス業じゃ無いよ。
貪りがあればご加護をいただいていてさえつまらぬことで怒りがわき、
それが愚痴となる。
咎めを受けてから気が付いてももう遅い。
たいがいは手おくれ。
それが天尊をなめるということ。
一度そうなったら行者でも何もできることはない。
大事なことは謙虚ということ失わないこと。大きなご加護があればあるほどに慎みの心畏れの心は大事です。
それが私の知る聖天様だ。