祝詞と言えば天津祝詞を思うが、あれは平田篤実一派の復古神道のもの。
復古神道は仏教を排斥し習合系とは相反する立場のものだ。
それなのにいかに修験道とはいえ地鎮祭で天津祝詞など読むのはいささか変な気がする。
なので私はもっぱら、神事には習合系の「大中臣祓祭文」を読む
「維れ当来年次〇年〇月 〇日今月今日の吉日良辰を選び定めて身体を沐浴し、心を正
誠に致し、大法主それがし敬って白す
高天原に神留ります。皇御親神 神漏岐。神漏美の御神をもって八百万の神たち神集い
に集い給い、御前に金の御幣、銀の散供を以て再拝再拝といたせば金の花咲き、銀の実
成り、獅子は蹄を調え来たり、鳳凰は翔を羽ばたき、天開き地形和合して、立命神門が
時を以て信心のそれがし、上は梵天・帝釈・四大天王、下は難陀竜王を始め奉り八大龍
王、荒御前 波風を渡ってこの道場に来臨影向したまうらん。別しては天の二十八宿、
地の三十六禽。牛頭天王、八将神、もし法験あらんには殊には当社○○明神 随喜納
受を垂れたまえ。
只今、大薩の身に浄衣、直綴の衣を着し、金剛不壊の袈裟をかけ、定慧不二の手には胎
金両部の金の念珠を揉み、掛まくも畏く恭しくも来るところの天地の不浄、内外の悪
事、難中、師壇のいのち。不意の咎、出火、盗賊の難。あるいは年の疫、月の疫、物の
怪、悪事の疫、しきりに来ると言えども只今の大中臣祓いの祭文を以て七難を千里のほ
かに祓い、七福を信心お家に満て弱いは東方朔の九千歳を保ち、福は壇毘利(ママ)
の後を繕う。松柏自在を榮えたまえと謹んで敬白す。口急急如律令」
という風で結構長い。