ひとは時々思いだしたように何のために生きるのかと問う。
生命の価値は何のために生きるかなどではない。生きるために生きる。
あなたが大変ちいさな存在でだれにも知られず生きていくとしてもそれは大した問題ではない。
そして誰にも知られずに死んでいくことになったにせよ、それもまた大した問題ではない。
何より今ここに存在し生きていることに比べればすべては大した問題ではない。
なにごとをなしえても、なにごともなしえなくても生きていることに比べれば、それは枝葉でしかない。
あなたが今生きているならそれで必要十分だ。それが基本だ。
昆虫を見よ、野の花を見よ。
あるいは人知れず深海に活きている無数の生命を。
これらの価値は存在ということだ。
人間の役に立つとか立たぬとかはどうでもいいことだ。
それはあまりにも自然に対し手前勝手で思いあがったいい分だ。
誰も人間の為に生まれてきた存在などない。
だが何らかの意味でお互いがお互いの存在によって生きていることは事実だ。
存在には無上の価値がある。そうやって地球は回っている。
自らの存在が他者と全く同価値だ。自分があって他があり、他があって自分がある。
だから本当は存在すること以上の価値は枝葉末節なのだと思う。
生ていることの価値に目覚めないでないが一体できるというのだ。