20代の行者かけだしのころ。ある女性が相談にきた。
亭主の浮気に泣いているという。
でもいつか分かってくれると甲斐甲斐しく一生懸命尽くしているという。
「仏様はきっと見ているでしょう。仏様がいつかきっと救ってくれますよね。」という。彼女はそうすることでいつの日か、亭主が非を悟ると信じている。
私は「ええ、仏様は貴方を見て可哀そうな人間とは思うでしょうね。でも助かるのは難しいですね。」
「どういうことですか?」
「あなたがそうやって尽くせば尽くすほど、あなたはご主人のされていることを肯定していることになっているからです。」
「私がいけないというのですか!?」
「そうです。」
「!・・・」
「別に悪だというのではないですよ。まずいことをしているということです。なぜハッキリご主人を責めないのですか?」
「主人は言葉がうまくて言いくるめるのです。」
「じゃあ、先ほど言われた黙って尽くしているのはわかってもらうためではなく、それ以外仕様がないからだということになるでしょう。」
「どうすればいいんでしょうか?仏様に助けてもらえないんでしょうか。」
「まず浮気をしているというなら探偵でも使って証拠集めなさいな。それでどうしたいかです。」
「私、離婚されたら何もできないし、困ってしまう。別れたくないんです。」
「だったらそう祈りなさいな。
本当に必要なのは浮気封じや縁切りじゃなく、あなたがふたたび御主人が向かい合ってうまくやっていくことではないのですか?
あなたの人生ですから仏様はあなたを適当に見ていて勝手に助けてくれるということはないですよ。」