金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

法話の法話

色々法話を考えるととかくただのきれいごとになる。

面白くもない行儀のよい道徳話になる。

法話をする人、聞く側の人という差別相がそういうつまらぬ法話を生む。

法話でなく呆話だ。

 

感謝して生きろ。

欲を慎み、怒りを捨て、おろかな迷いを捨てろ。

どれも心に響かない。

 

ただのきれいごとの確認だ。

それでもウンウンと首降ってくれる方はいる。

でもおそらくはお互い何もわかっていない。

ただの時間つぶしだ。

 

三毒熾盛の自分を聴衆にしないからだ。

 

御仏は三毒熾盛・下根劣慧のおのれのためにこそおわしますくらいの気持ちでいい。

自分のための法話が人様への法話。

人様への法話が自分への法話。

 

そうでないと嘘だ。

噓は心に響かないと思います。