高視聴率の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
この中の運慶は権力をものともせず、執権・北条義時にもため口でものを言う奇僧として描かれている。まあ、反骨の人らしく描かれている。
なかなか面白い。
今回のラストに義時は彼に「自分に似せた仏像を作れ」というが運慶は「嫌だ」という。
「俺は金のために仏像を彫っているわけじゃない。」と一蹴するが、そんな運慶に「噓を言え、おおぜいの弟子をかかえて小仕事をやらせているお前は金のためにしているのだ。」という。
なるほど、「いやだ」などと平然と仕事を選べるのも彼が芸術家というより資産家だからだろう。
さらに義時は「お前は俗物だ。だからこそお前の彫る仏像には人が魅せられるのだ。」と看破したように言い放つ。
そして、この言葉に正体を見透かされたのか、運慶はうなずいて仏像作りを承諾する。
運慶演じている相島 一之さんという俳優さんだが「お前は俗物」という義時の言葉に水を浴びせられたようなの表情が実に良い。
義時は運慶の中に自分自身の心を見、運慶もまた禍々しいと思う義時の中に自分自身を見たと瞬間の表現だと思う。
実際の運慶はどのような人かは知らない。
だが、仏像というものはその人が表れるのはそうだろう。
概ね仏像を素晴らしいと評価するのは昔は権力者、そして今はえらいお役人・文化教育関係のお偉方だ。
要するに仏教の素人だ。
そういう人が「素晴らしい文化財だ」と言って教科書や歴史書に載せて我々もただ「そうなのだな~」となんとなく思っているだけだ。
仏像の素晴らしさは技巧だろうか?表現力の巧みさか?
美術品としてはそうだろう。
だが、信仰の上から言えばそうとは限らない。
私は運慶の仏像、鎌倉期の最高傑作だろうが、別に欲しいとも思わない。
もっと衝撃を受ける無名の仏像もゴロゴロあるからだ。
そんなものがあれば値段の方が気になる私もただの俗物以外のなにものでもない。
だが名もなき仏師や素人が彫っても信仰の伝わる素晴らしい仏像は少なくない。
私の思う善き仏像はそれだ。
私には文化財的価値や美術品的価値などどうでもよい。
仏像の真価はそれを心底拝む者にこそある。