若いころと比べて祈願の力は変わらないものか?という質問。
若い頃は体力気力も満ちている。
だから若いうちは祈願以上に修行に打ち込むのがよいだろう。
祈願はというととかく精神力任せの様になりがち、例えば念力を凝らしたりするのはやりやすかろう。
だが、ここで念力本位の行者となってしまうと後年、年配になってそれは続きづらい。
大体すり減って早く死んだりする。
力をぬいて本尊任せになってくると老境に至ってもそこの弊害はない。
老境まで剣道などの武術をやっているとよい意味で力が抜けてくるというがそこに似ているかもしれない。
念力を凝らして本尊になんとかきいてもらいたい一辺倒といういってみれば攻めの祈願ではなく、本尊はいかに思召すかという受け身の祈願になる。
いいかえるならこれは精神力ではなく信仰の力だ。
信仰には力みなど要らない。
力みはむしろ祈願に逆効果だ。
むしろ本尊と親しみ、楽しむ所為であれば少々長い時間祈願してもくたびれはてるということもない