今日の大河ドラマ「どうする家康」で、同族の謀反を受けて、大樹寺の先祖の墓の前で切腹しようとする松平元康。
盛んに「遠離穢土・欣求浄土」と唱えてあの世への思いを強くするが、寺に住み込んでいた若き榊原康政(のちに家康の家来になる)に「それは違う。私は住職の登誉天室和尚からこの世は穢土なるがゆえ、それこそを浄土にしなくてはならないのだという意味と聞いている」と語る。
実際にはそういうことを直に元康が大樹寺の登誉天室和尚から聞いたということになっているが。
これはもちろん本来のこの言葉の意味ではない。
元康が始め唱えたようにこの世より浄土への想いを語ることばだ。
登誉天室上人は浄土宗の僧ということだがこのあたりはむしろ禅宗の和尚という風だ。
私の師匠も「遠離穢土・欣求浄土」の想いは逃避仏教のそれになってはならないと言っていたのでほぼ同じように解釈していたかもしれない。