金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

懺悔行とは何か

ある方が破門殺で在家星祭をして
 
「父母を殺し、仏前の御供えを盗み、仏法僧を誹り・・・」と過去世に自分がした覚えの無い(たとえ過去世にしていたとしても)ことを全て隠さず懺悔するから悪運を良くしてください、と懺悔するのが、心の中で抵抗があり、辛かったです。
終ってもモヤモヤした感じです。
というお返事をいただきました。
 
ここで大きな間違いがあります。
懺悔するから悪運を良くしてくださいというのではないのです。
それは懺悔行ではない。
懺悔はあくまで懺悔のためにする行です。
神仏との交換条件ではない。
そういう気持ちでしたなら懺悔行にはなりません。
 
そもそも仏教ではお前は悪いことしてきたから苦しめてやるという仏などいないのです。
仏はあくまで救済者。ご本人が言うように
自分がした覚えの無い(たとえ過去世にしていたとしても)ことを全て隠さず懺悔するから・・・と懺悔するのが、心の中で抵抗があり、辛かったです。
した憶えのない罪も憶えのある罪も仏はなにも責めません。
 
この裁くという一面は仏教にはないのです。
中国仏教で判官思想が加わり地獄で裁かれるという恐怖が入りました。
実際は自己が業を受けるだけです。あくまで自分の業を浄めるためにするのが懺悔行
ここが仏教を良く知らない人は間違いやすい点ですので一般の方なら無理からぬところです。
さらにおぼえのない罪こそを懺悔するのが「懺悔行」です。
憶えのある罪を懺悔するのは当たり前の世事です。
 
罪は社会的責任は措いて宗教的にはああ。悪かったと深く感じた時点でその人を離れます。罪が分離される感情が懺悔だからです。
自分の現状の裏には業があると感じる。それが懺悔行です。