去年、ある方から「呪詛返しを教えていただけないだろうか」という電話をいただいた。
祈願をしているお坊さんらしい。
誰か信徒さんでそういう人がいますかとお尋ねしたら、どうもご自分のことらしい。
祈願寺にはときどき変な奴来るからね。
逆恨みや自分勝手な思い込みでそういうバカや頭おかしい奴はいくらでもいる。
昔、師匠に「最近、こんな手紙来るんだよ」と見せてもらったのには「自分は聖天がのりうつっている。まことの聖天である。お前なんかにしたがうものではないぞ。罰を恐れよ。」と書いてあった。全然知らない人らしい。差出人も書いてないから。
苦笑いして焼却炉に入れていた。
大概はその程度だが・・・
たまたま相手に強い念があると自分はよくても家族に行くこともある。
家庭のある行者にはここはつらいところだ。
それで「あなた、護摩は焚きますか?」というと
「無論、加行で焚いたから炊けますが・・・うちはまだ護摩壇がないんです。」
「お師匠様のお寺にはある?」
「あります。」
「焚かせていただけますか。」
「ええ。たぶん」
「じゃあ焚いたらいいですよ。」
「呪詛返しはしないでですか。」
「意識して焚けばこれ以上ないくらい強い呪詛返しですよ。あれは相談者用です。
行者なら護摩ですよ。」
「そうなんですか。ひょっとして調伏護摩とかですか?」
「いいえ、とんでもない。不動明王の息災護摩で十分です。
行者自身はそのほうがいい。
行者には祈願をする身の辛さで。わけわからない人から恨まれると言うような特殊なことがなくても。行者さんは人の業にもかかわるから何かと障礙は多いでしょう。
そんな時は護摩が一番いいです。本来修行としても普段から月一回は焚くべきですね。」
「呪詛返しは?」
「ご自分の為ならいらないでしょう。今後のために是非知りたいといわれるならお教えもしますが。まあ、護摩と併用してもいいですがいらないと思います。」
この後この方は「護摩でいいんですね。まず護摩を焚いてみます」と言って電話を切られた。
お名前は忘れたが、その後この方からの「呪詛返し」についての問い合わせはなかったと思う。
うまくいかれたのかな。