金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

人生の地獄はだれにもある。

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猫殺し、刃傷少年の事情

「ただ、小学6年生の時に中学受験のプレッシャーで学校に行くのが嫌になってしまったみたいで。その頃から不登校に……。自宅のトイレに『武蔵中学合格』と書かれた紙が貼られていたのを覚えています」  両親の思いを受け、東京の名門男子進学校で、開成中、麻布中と並ぶ“御三家”と称される武蔵中を目指して受験勉強にまい進。だが、思うように学力は伸びず、やがて精神的に追い込まれ、不登校になってしまったというのである。 「親から“学校に行け”と言われるのが嫌だったのか、6年生の時に、さいたま市にある私の両親(=少年の祖父母)の家まで逃げてきたこともありました」  こうして祖父母が心の支えになったらしい。 「両親が共働きでしょう。寂しい思いもあったんじゃないかな。だからでしょうか、学校に行けなくなってからも、おじいちゃん、おばあちゃんの家には時折顔を見せに行ってました。ただ、昨年5月に私の母も高齢者施設に入居しまして、とうとうあの家には誰もいなくなってしまって……」

 

これはこれで辛い事だったのだろうが、猫をバラバラにして殺したり、人に刃物で切りつけるなどの理由には全くならない。

特別に「ああ、可哀そうだ。こんなことするのもわかる!」とも思わねば、汲むべき事情とも少しも思わない。

切られた人や殺された猫の方が百倍気の毒だ。してはいけないことだ。

事情を聞いても何ひとつ心に響かない。

していうなら私が思う ただ一点この人の非常に気の毒であると思うところは脆弱な心だ。

 

「そんないい方、かわいそうだろ。それでも宗教者なのか?」という人もいるだろうが、この事件、この少年に同情しないといけないと言うなら私は宗教者だと思っていただかぬ方が快い。

この子にも未来があるというなら、つまらぬ慈悲をかけぬことこそ真実、慈悲なこともあると思う。

 

人は心のトレーニングらしいことは血の涙をこらえて自分で歯を食いしばってするほかない。

国も学校も誰も助けてくれない。教えてもくれない。

でもそれができなければ一人間に人として生きていけないだろう。

誰でも同じだと思う。

みんなそれなりに辛い思いをして身も心もボロボロになりながら前に進む。

それが当たり前の人生ではないのか?

人生の地獄は幼児でも老人でも社長でも平でも皆おんなじだ。もちろん女も男もない。

百八地獄は人生にある。

そこで苦海に沈めばそれまでだ。這い上がるしかない。

昔はもっと無理解で非道なガリ勉親父やガリ勉ママなんかいくらでもいたものだ。

そういう地獄はあって当たり前、人や罪のない動物を殺そうとする理由にならない。

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