辞めた人はもう講に再度は入れませんと言っているので「何故ですか?」という質問もある。
その「なぜか」におこたえします。
やめる人はなぜ辞めるのかはうちではその時はあえて聴きません。
「はい、わかりました。」でおしまい。
だからやめる理由は知りません。言わない限りわからない。
止めもしない。
聞かない理由ですか?まずいいいにくいだろうと思うし。
辞めると決めてきたのに聞いても仕方ないですし。
怒りに任せてやめるというなら聞かなくも本人から言うでしょうしね。
だからどういう事情で止めたのかは再入会を希望するその時にはじめて聞くことになる。
でもそれは本来はご当人が自ら言うべきことです。
それが礼儀だと思う。
そこを何も言わない。
やめたんだけどまたシャアシャアと入れてくれとだけしか言わない人しかいない。
だから皆さんお断りしてるんです。
そういう人はいずれまたやめるでしょう。
信仰とはそういういい加減なものじゃいけないから断るわけです。
こちらで断った人はなおのこと成長や変化が見られない限り同じです。
別に腹立って、それでやめてもらったわけじゃないから腹が収まっても同じことなのです。