金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ある質問 不思議はどのように?

こんな質問をいただきました。
「ハタヨーガでは空中浮遊した人がいる等の話を聞くこともあるのですが、密教の実践者の先生のお立場で、その不思議な領域としては、そういうことは過去にも現在にもあり得るとお考えですか?
変な質問で申し訳ないのですが、学者としてはその解釈はいけないのかとは思うのですが、伝承を聞き書きし、フィールドワークをしてきた私の経験上もあるように考えていますし、伝承としても昭和に起きたことの話で、普通に古老からもそのような話を聞いたことは多々とあります。
それはいざなぎ流に限らず、真言宗や修験の世界でも今でも聞きます。そして御嶽八海山系統の行者さんでは多々と不思議な体験をさせられ、験力があるとは個人的に思っています。御座がジャンプではなく、そういう水準のものがあったと解釈できる場面もあり、学者の立場から遠まわしの表現を使っていますが、いまだに研究の中で解せない不思議な体験はときおりあるのですが、ハタヨガの人たちのいうこの手のことと、密教
にはいろいろな経典にこのような事相に関わるマニュアルもあるわけですが、密教は当然に宗教であり、実践や祈祷・呪術は大事な側面を持っていますから、このようなこともあるのかなとは思うのですが、先生の体験の中からもこのようなことは起こり得る
とお考えですか?
 微妙な質問ですいません。でも、実践性、民俗学用語でいうところの身体的技能、非文字資料として、少なくともこの問題性は今度の西日本宗教学会でも数年来のテーマになっており、修行等の実践性に文字資料ばかりで、今まで触れてこなかったという問題点があり、少し先生は修行をされているので、お尋ねしたところです。」
農村文化研究所 特別研究員の方から
 
私の答え

「世間に不可思議なことは起こることは多々あります。空中に浮く。水の上を歩む。

実際にこういうことがあるのかないかは知りませんが、あるにしてもそれはおきるのであって決してできるのではないのです。

他のあらゆる奇跡はもとより祈祷の霊験に至るまでそれは起きるのであって、起せるのではないのです。たとえ方法論があってもそうだと思います。

そう考えております。

ですから私のご祈祷にしても「叶いますか?」と言われても「できますよ」という返事はできません。

どんな大きなこともどんな小さなことも、それは叶った人がいるということしか申せません。」