「魚市場の冷蔵庫に隠していた被害者の遺体を、大型の機械でばらばらにし、焼却炉で燃やした」。2022年末、さいたま地裁で開かれた刑事事件の公判で語られたのは、ショッキングな遺体の「処理」方法だった。公判を取材した私は当時入社1年目で、正直に言って裁判の傍聴も初めて。残酷な殺害と遺棄の手口、おえつしながら「息子を返せ!」と叫ぶ遺族、そして凄惨な結果とどうしても釣り合いが取れない〝ささいな〟動機。この事件は決して新聞で大きく取り上げられたわけではなく、読者の目に触れることも少なかったと思われる。
娘の交際相手が娘の携帯電話を使用して、その代金が未納だったために殺したという父親。
図々しく控訴している。
こういう凶悪事件においても普通、宗教者ともなれば人権に考慮し、死刑の反対や減刑を言うべき役割があると思う人は多いだろうが、私の存念は違う。
心情的にはこういう人間は生きたまま八つ裂きにしても飽き足らないのが遺族だろう。
むしろ私はそちらに寄り添いたい。
加害者に同情したりする人のどれ程がこういう事件を真剣に受け止めているのだろうか?
いつも疑問に思う。
まあ、死刑のない国でも、終身刑は「人間を一生封じ込めたまま、死なせる、死刑よりも残酷な仕打ち」と言われ、一部の人権主義者の間で死刑復活も叫ばれている。
死刑でなくても終身刑がわが国にあればそれでもいいと思うが・・・。
「人の命を奪えば応分に罰せられる」
世の大方の識者や宗教者とは違うだろうか、私はそれこそが加害者の人権を認めることと私は思っている。
それは人としての責任を問う行為だからだ。