あるお寺にいきなりお坊さんになりたいというお話。
「そんな話いきなり持ってきてうけてくれるところなんかないですよ」といわれたそうだ。
それはそうです。
ものには順序がある。
まず信者になる。
それも熱心な信者になる。
そうしたら在家でよくお手伝いや掃除に来る。
そうして年数重ねて初めて入門になる。
そこ省いてはありえない。
それが普通です。この段階ではまだお坊さんじゃない。
実質は僧侶見習いの在家弟子です。
塾やセミナーじゃないから受けつけがあってコースがあって等はない。
そこを得度にこぎつけるのはおのれの修行だけなのだ。
うちはそういう得度しただけの在家弟子の方も多いけど実際はごく少数の良く来る人以外はまあ、ただのお客さんだと思っている。
無理は強いできないものね。
むこうもそんなもんだろう。それ以上修行する気も別にないだろうから。
かなり熱心でも、その状態で長くいたらもうやる気なくなる人もいる。
受動的で「そのうち、なにかいってくるかな。そうしたら・・・」というひとはそうなる。
それはそんなもので仕方ない。「得度してから数年たちますが何年立ったら本式の僧侶になれますか?」と聞いた方もいたが何もしなけりゃ永遠に其のままだ。
まあ、こちらも何も期待もしていないし、だから「冥途の土産コース」とうちでは言うのだが、さすがに僧階つけてお坊さんにしてまでまでしての「お客さん」は考えてない。
希望する人には法華経真読、訓読で全巻読誦 自我偈21巻の書写 理趣分素読と進むがそうでない人の方が多い。
法華経の真読は「五種法師の修行」の内の「誦」訓読は「読」及び「解説」、写経は「書写」この修行で法華経に親しんでいただくことが「受持」と思ってしていただいています。
法華経は天台の根本経典ですから、
でも授けても途中で辞めてしまう人もいる。
今は最低でもそれをやる人以外得度はさせない。
密教は新たにさせようという人はもう絶無だ。
以前それでは得度した甲斐がないからと、そう言うなにもしていない人にも何か伝法と考えていたら「愚かな法の切り売りはやめろ!法とはそのようにして受ける物ではない」と霊狐さんにかなり厳しく叱られて止めた。
爾来その考えにもとずいて法華経の五種修行と理趣分のほかは何も伝授は考えていない。