金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

気に入らないことなどする必要はない

𠮟られたり、厳しく言われることを即「パワハラだ」などと思う人に修行者の資格はない。

その態度には学びも気づきもない。

修行の道にパワハラはない。会社ではないし、商売の場でもない。

修行者は会社員でも従業員でもない。

会社の研修ではない。

修行はそういう目的でするものではない。

そもそも生活上はしなくてもいいことをしているのが修行だ。

生活上やむなくする修行など修行ではない。

そこが仏道修行と技術鍛錬の修行とでは全く違う。

正しい修行院とは職業訓練のような場所ではない。

 

修行者が○○を嫌がるから一々意向により○○はやめなどというところも在るらしいが、それは半ば商売と化しているからだろう。

客である修行者が辞めれば飯の食い上げだ。

そうでないなら「ここで指導することが嫌なら帰れ」でおしまいだ。

それが正しい修行の場だ。修行の場は学校ではない。

PTAもなければ団体交渉もない。

 

ましてや収入を得たいのために修行したいという言葉を吐くものは問題外だ。

収入の道なら別な方法で模索するがいい。

そういう気持ちでやっていけるほど甘くない。

時間的な計算もできない。

何年やってたらそれでやっていけるなどという保証も一切ない。

それでいて費用はしっかりかかる。

 

また、そういう人間はほかの修行者に邪魔でしかない不純物だ。

私には排除の対象でしかない。

 

指導する側から言ってもパワハラまでしてしていただく必要のあることなど何一つない。

だから嫌ならやめればいいだけだ。

しなくていい。

 

口では「修行したい」などと言いながらそういう人は優しさや心地よさしか知らない赤ん坊のようなものだ。

自分が気に入る修行を自分だけでするがいい。

永遠に赤ん坊でいるほかない。

悪いのかって?

別になんにも悪くはない。

赤ん坊でいていただいても別にこちらに関係しないならば何も問題はない。

そうありたいなら好きにするがいい。