金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ひとたらし

相談や祈願を求める方にはなるべく丁寧に親切に接するつもりでいる。

これは優しいという意味ではない、必要なら言いずらいこともいう。

心にもない世辞なども言わない。

でも、来てよかったと思うようにできればベストと思っている。

少なくとも甚だ至らぬことながらそのようには精進しているつもりだ。

 

しかしながら、それはあくまで信者さんにであって友達あつかいとかするわけではない。

でもそういう一線をポンと超えてこようとする人はいる。

 

そういう人は話が上手だ。人としても一般論から言って明るく魅力的な人物が多い。

当初からニコニコとフレンドリーで実にうまく間を詰めてくる。

ものおじする気配すらなく遠慮はない。

初めから十年来の既知のように話してくる。相談にきても後半から自分のことではなくこちらのことを聞いてくる。

普通の人はそれで釣り込まれる。

誰でも一番の関心事は自分であるから人によってはつい喋々としゃべる。

こちらから垣根を取り払う。

こうなってはどちらが来訪者かわからない。

一種の才能ともいえよう。

そういうことが上手なんでしょうね。

それでスルリと人の懐に入ってくる。

だがその実、こんな人ちょろいもんだ。取り込むのに訳ないという臭いはする。

 

でもそういう臭いの人は基本的に私は警戒します。

 

昔のことだが、初対面の人でいろいろ相談でひとしきり話した後、雑談になり、そこから急に改まって「先生、これから私がお願いしたことがあるんですけど。それを断らないって約束していただけますか?」という人がいた。

「どんな内容ですか?」

「いいえ、ダメです。先に約束してください!」

ここで私は決してわかりましたとはいわない。

 

「約束しないといけないのですか?」

「そうです。」

 

「先に約束させるのはきっと聞けば断るような内容なんでしょうね。だったらその願いは聞けません。約束するならそう約束します。聞きません。お断りです。」といったことがある。

 

NLPではないが「人たらし」というか、人を取り込むのが天性にうまい人もいるのだ。

なかには話じゃなく気前よくドドンとお寺にお金も出す人もいる。

そういう切り口で来るのだ。

警戒ばかりしているのもおかしいが・・・

だが、それが果たして良い信者かどうかは見極めないといけないことだ。

しかめっ面や不愛想にはよろしくないが、ニコニコ顔もせいぜツラの皮一枚にしておくことだ。