「お世話になります。先月、准胝独部法を准胝院で授けていただいた吉田鉄と申します。その節は誠にありがとうございました。私自身、金翅鳥院さんの講員ではないのですが、先生に授けていただいた独部法で個人的にですがありがたい体験をさせていただいたのでメールをさせていただきました。
先日、お次第どおりに准胝仏母さまの真言を念誦していたところ、仕事上で意地悪なお客様とのやり取りを思い出してしまい、そこからどういう訳か強い怒りと憎しみの感情がどんどん湧いてきて止まらなくなり、「これじゃあ続けてられないから、中断して少し休んでから再度行おうかしら?」と思いましたが、そこをグッと堪えて、「准胝仏母さま、私の中の三毒を消すお手伝いをお願いします」「この好ましくない感情を何卒消してください」と祈りながら真言を唱えていると、胸のあたりで感じていたムカムカとイライラといったものが消えてなくなり、独部法を終えた頃には、その職場での出来事をイメージしても好ましくない感情が全く湧かなくなり「まあ、あんなことがあったな」と瞬間で何事もなく受け流せるようになれたのにビックリしました。准胝仏母さまのお力をまざまざと見せられた思いをいたしました。
まだまだこの行が始まったばかりですが、この独部法を伝授いただいた羽田先生と機会を作ってくれた里見先生に感謝しております。ありがとうございました」
准胝様を念じて怒りを浄化できたこの方の人間性がもとより素直だったからだと思います。
なかなか怒りというものは面倒で自分が悪いと思うなら怒らないのですが、そうでないからこれが怒らずにいられようか‼ということになります。
だから怒りというものを克服できれば他の煩悩は大概何とかなるのです。
私などもいい年をしてみっともないことにもともと根性がひねくれていることもあり、時になかなかこの怒りという敵に難儀しています。
この方は立派ですね。
准胝尊はチュンデイといいこの言葉は清浄を表すと聞いています。
准胝尊を拝み心を常に清浄に清々しくありたいものです。
准胝独部法は一応10万遍20万満ぜよとは言うものの、実は終わりはないのです。
それは生活している以上掃除に終わりがないのと同じ理屈です。末永く親しんでご修行ください。
わたしの金翅鳥院道場ではこの伝授は講員さま限定ですが、これからも希望が集まれば里見師の道場では広く皆様に伝授の機会を持ちたいと思っています。