金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

エクソシスト裁判

1978年2年間で67回もの悪魔祓いを受けていた少女がだんだん悪化して餓死した。

この事件でエクソシストと両親は有罪、過失致死罪となった。

爾来カソリック教会はエクソシズムに対し極めて慎重になっていったらしい。

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それにしても二年間で67回の悪魔祓いは多すぎだ。

多い時は週三回、時間は一回が2時間に及んだという。やりすぎ。

経験から言えば、こういうものはハッキリ言って話をしたりお加持をして初めの一回で少しも変わらないならもう後は何をしてもそう変わらないものだ。

その時はもう勝負がついている。

憑依現象との対決は勝負だ。ありていに言えば錫杖持って向かい合った時にもう半分勝負はついている。

だから多分こりゃあびくともせんわなというのは手を付けない。

そういう時はお加持もしない。頼まれれば誰でもやるわけじゃない。

何をやるか、何をやらないかは私の判断だけでする。

そういう智慧も必要と思っている。無駄なことはしない主義だ。

それだけ危険でもあるからだ。

 

最初の切りあいで負ければもう切られてこっちは生きていない筈なのだから、あとで何をしてもしないのと同じことだ。

二年間で67回 私ならこういう状態では悪魔祓いがまったく効いていないと判断する。

こうなったら戦時中のB29爆撃機を届きもしない射程の高射砲でパンパン撃つようなものだわ。

 

そこはキリスト教だから何教だからダメというのではなく、この状態がダメだね。

仏教でも神道でも大いにある。こういう状況はね。

宗教の別はそこは本質的にはあまり関係ない。

この裁判では精神科医がもう10日早く強制的に電気ショックや強制給餌を使えばこんなことにはならなかったと検察側に与したそうだが、まあ、死なないまでもなおりはしないだろう。

いかなる病気でも治るものと治らないものがある。

憑霊という現象も同じだ。

手立ては精神科にも宗教にもあるだろうが、それで絶対ではない。

程度がひどければなおらない。なんでもそう。当たり前のことだ。

だから常識的にはこれは精神科医の領域だが精神科にかかって必ずなおるかというとそうでもない。

 

経験ある宗教者のお祈りでびくともしない憑霊は薬物療法中心の医者に行っても結果は大して変わらないことは多い。

「調子はどう?ああ、そう、あんまり変わらないの?じゃあまた同じお薬出しとくね~、様子見だね~。」という感じのことが延々と続く。

なぜなら普通はいやいやでも先に精神科に行くからだ。

それでだめだからこそ宗教的な方に目を向ける。

経験的に言って祈願所に来る人はそれが普通だ。

 

神は絶対なのだと思うから67回でも生きてりゃ100回でもやるんだろうけど、神も仏もこの世で絶対なものなどなにもない。

それが真実だ。