ほかの宗教はどうかは知らないが仏教は信じること以上に行うことだ大事だ。
ただ、信じていますなどと口に言うのみでは仏教においては甚だ不足だ。
仏のみここころはご自分を信じて崇拝などしてもらいたいわけではなく、説く所の法を行ってもらいたいことのみにある。
目的はそれにより意味深き命を生きてもらいたい。
それのみだ。
だから仏教では信じることは行うことに他ならない。
極端に言えば仏など信じなくてもかまわない。その教えを行えばいいのだ。
信じなくとも罰など当たるわけがない。
仏法は信無くして行うこともできないし、行わず信じることもできない。
天台の教えではこれを「行解双修」といっている。
とりわけ密教はその方法論において秀逸な教えという。
そこでこの准胝独部法は在俗の修行法として残された唯一と言ってもよい密教の法です。
当院ではこれを修行する人は多く、その功徳を知る方も多い。
三千回の礼拝行
護身法
独部法
独部法に練達した行者には10万遍満行したら。希望者には延命の法である准胝三七延命法をお授けしています。
勿論講員様のみです。
私は「これは入りやすくはあっても、容易にはに至りにくい奥の深き法」と聞きました。
10万遍と言わず生涯修していくべき一生の宝とすべきものです。
七億の仏の母。仏母准胝尊
仏母が生む七億の仏子とはとりもなおさず娑婆世界の修行者である我々のことです。
逆に申せば「准胝独部法」を授かった日から。縁を結んだ准胝尊を今一人の母として仏道に沿った生活を歩むのです。
単に熱心にご祈祷を多く頼むとか、長い間、信仰を続けているというより自らが行うことに無上の価値がある。
天台宗所依の法華経の枢要である如来寿量品
によれば、仏は一切衆生をして仏智見(仏の智惠とその働き)に入らせることを一大事として出現されている。
何も行わずして、坐して救いを待つだけで仏智見などに入れようはずがない。