男女の出会いというのは不思議なものだ。
出会いによってが人生が大きく筋を変えるというもの。
「縁は異なもの 味なもの」というとおりだ。
出会いによって筋書きを大きく変えるのもまた楽しいかもしれない。
まさにだれを選ぶかで人生は良くも悪くもなる。
人生のドラマにはつきものだ。
だが、だからこそ求道者としては「サイの角の如く一人歩め」と釈尊は言われたのだろう。
求道とはひとに左右されて筋書きが変わっては求道にならぬからだ。ただの信仰とは求めるものが違う。
故に一人で歩まなくても相手がついてくる縁は妨げにならないが、相手についていかねばならない縁はしばしば求道のコースを外れることになる。
求道者には自らが相手についていかねばならぬ縁は不相応だ。
タイの在家信者は今世では僧侶に供養をして家庭や家族を守りながら徳を積み、その功徳で来世には出家して僧となると考え、解脱を果たすと考えるようだ。