体調を崩されたある行者さんからのメール
「私はこの数年、難病患者に対する様々な試みを続けておりました。
一言で申し上げれば、呼吸法で増幅させた〈気(のようなもの)〉を体内から指先を通して、相手の患部に流し込むという方法でした。
その際、相手の患部を立体的に透視(イメージ)しながら行い、多くの成果を出すことに成功しました。
数人のステージ4癌患者、腎臓疾患にこれを行い、良好なコントロールが出来ており、増上慢になっていたのだと思います。
そこで私は一つ大切な事を忘却しておりました。
それは、相手の問題を自分の心身にコピーしてしまう、という、どうやら先天的なものに違いない性質でした。
私はこの仕事を始めた二十代半ばでこの問題にうっすら気付いておりました。
しかし、ここ数年、他者の身体の問題をコントロールでき、何かしら力を行使できるんだという自負が、その恐ろしい弱点を見ないようにさせていたのかもしれません。
御祈祷に関しても、私は根本的誤解をしていたと考えています。
御祈祷に関しても、私は根本的誤解をしていたと考えています。
先般、私は御祈祷を始めさせて頂きましたが、一番目の外来の願主様の願意が「○○」の病でした。
私はここでも修法中に「治療」をしようとしていたのです。
イメージの中で相手の体を透視し、病巣を探し、そこに真言にのせて気を注ぐ、と、、、今ではこれは、本尊様や法より自分が前に立とうとする、不遜な態度であったと反省されます。
要は、いつの間にか「我流の祈祷法」になってしまっていたことをここに告白し、懴悔致します。
祈祷における行者の心的態度は、羽田先生が言葉を変えて何度も何度も私たち弟子に説いて下さっていましたのに、本当に申し訳ございません。
障害を残さず再起し、先生のお弟子としてお役目を全うできますように、また金翅鳥院様で皆様と笑顔でお会い出来ますように、私も努力してまいります。」
障害を残さず再起し、先生のお弟子としてお役目を全うできますように、また金翅鳥院様で皆様と笑顔でお会い出来ますように、私も努力してまいります。」
このことは祈祷上の注意すべき難問です。実際似た様なことをしている方も少なくないと思います。
実は私も似たような観念で祈願した経験ありますが、それは動物や鳥など小さなものに限ります。人間にはしません。それをすることはおそらくダメージが大きすぎるので、
昔、クロベエが死にかかったとき2017年にこうした術を使いました。一体化して循環させます。動かない肝臓がそれで動き出しました。
※下にクロベエが病気した時のブログがあります。
まあ、効くと言えば効きますががやっては怖いことですね。
実際、いわゆるよく祈願が効くという行者には同じではなくても似た手法を使っている方がおられると思います。
だが、いかに慈悲深く神通広大であっても比較的若い内に死ぬことが多い。
こうした学びから今はすべて神仏に流しております。
よくいわれる「気」は全くこの世界には何も関係ないものです。
えてして術者は練行するほどに内筋が強く強い気をもつ方が多いのも事実です。それはそれでよいことですが、決してその力で祈願するのではありません。
密教祈祷はのびのびと無限(大日)につながるものです。